リップクリームも知らぬ頃 2

リップクリームも知らぬ頃 1」の続きです。

長くなりましたが どうかお付き合いくださいませー





その日が最初ではあったが それから先 特に何か起こったわけではない

ただ M先生の授業が以前より少し楽しみだったり

男子を中心にふるっていた竹刀を(そういう時代でした) 私にはふるわず

でも一度だけ 授業中少しボーっとしていた私に

コツンと頭に置くように竹刀を乗せた

ちっとも痛くなくて なんだか少し笑っているようにも見えて 私はくすぐったくて

自分も笑いたくなるのを必死で堪えていた



私は 人の話を聞くとき その人の顔を見ながら聞くのが癖である

これは本当にもう 誰彼構わずというよりは

英語の聞き取りテストのとき 声のするスピーカー(放送室から流れてくる)の方を見ながら

問題を解くという奇妙な技を持っていたくらいで

まったくもって無意識の癖

だから 私が少しくらいM先生の話を聞きながらうっかり見とれてしまっても

特に問題はなかった、筈だ。



相変わらず 定期テストの前にはひとりで自習

相変わらず M先生は自分の椅子に座ったり 事務室に少し戻ったり

私の席の側に来たりしながら

時折する私の質問に 答えてくれた

先生の左利きの指が とても細くて華奢だったことを覚えている

でも 大人の男性の手 同級生とは違う

問題集に ノートに差すその指が 私はとても好きだった



・・・



やがて 受験シーズンを迎え

私の関心はM先生ではなく 目の前の受験に向いていた

たまに 授業中に目が合うような気がしてドキッとしたけれど

私がずっと先生の方を見ているのだから たまに目が合うのは当然の話で

そうだな アハハと心の中で苦笑いしながら

最後の授業も終えた



最初にも書いたが 私は無事志望校に合格した

クラスの全員が まあそれなりの結果を残し 塾でささやかなお別れパーティーが開かれた

その塾は 小・中学生専門で 高校の部はないのだ

本当にお別れの会である

お別れ会の前 塾長が全員を連れて こじんまりしたレストランへ連れて行ってくれた

あとから聞くと それは結構有名なレストランで

私はコース料理というものを 生まれてはじめて食べた

デザートのように見えた前菜が甘くなくて 激しく違和感を覚えたのが記憶に残っている

お別れ会では皆との別れを惜しみ M先生とはほとんど言葉を交わすこともなく 塾を卒業した



食事会とお別れ会の写真をあとで貰ったが

M先生は写っていなかった

おそらく M先生が写真を撮っていたのだろう

それでも私は今でも M先生の細い目と左利きの手と その指を覚えている



・・・



塾を卒業し 中学校も卒業 おそらく高校生になりたてのある日

それはもうばったり 塾の前でM先生に出会った

私もビックリしたしM先生もビックリしていた



よく考えれば 私の家は塾のすぐ近くで

塾の前でバッタリ会うなんてことは別に珍しくもなんともないことだったのだが

そのときは とても奇跡的なことに思えて 嬉しかった



少し立ち話をし 歩いて5分くらいのところにある喫茶店に入った

私が言い出すわけもなく おそらくM先生が

「お茶でも飲みに行くか」とか

「ジュースでも飲むか」とか

私が驚いてしり込みしない程度の言葉で誘ってくれたのだろう



家族以外の異性と二人で はじめて入った喫茶店である



・・・



喫茶店に入り M先生はコーヒーかなにかを 私はオレンジジュースを頼んだ

しばらくは高校生活はどうだとか とりとめもない話をしていたのだが

M先生は 突然厳しい顔をしてこう言った



「おまえら 誰もごちそうさまでしたって言わんかったやろ」

塾の食事会のことである



先にも書いたが 塾のお別れ会の一環の食事会は

そこそこよい店でおこなわれ

私はてっきり 塾の恒例行事だと思っていたのである

まあ 恒例行事ではあったのだろうが

それが塾長の自腹だとは知らなかった

親が塾代を収めているし その中での出費だと思っていたし



何より 合格したことに浮かれて お礼を言うという概念がとんでいたのは事実だ



M先生は 食事代が塾長の自腹であったこと

私たちの学年が例年よりとてもよい受験結果を残せてとても喜んでいたこと

志望校には落ちてもみんなそれなりの学校に無事進学できて安心したこと

そして

「自分は食事をごちそうして貰って 礼を言えない人間は嫌いだ」



そういうことを私に言った



・・・



私は両親に 特に父親に言葉遣いや礼儀作法について

そこそこ厳しくしつけられていたし 叱られもしたが

そのおかげか 他人にそういう面で注意されることはほぼなかった



M先生に叱られた というか彼は怒っていた

お別れ会で無口だったのも そういうことが理由だったのかもしれない

全然気づいていなかった

あんなにお世話になったのに M先生にも塾長にも



叱られて 怒っていて

私はどうしていいか分からず ジュースを飲んだ

味も分からないくらい動揺した

他人に叱られたことも M先生が一人の人間として私の前で怒っていることにも



・・・



それきり怒ったまま店を出たわけではなく

そのあとは なにか普通の話をした

けれど どんな話をしたのかまったく覚えていない

ただ 私はどうしても自分の失敗をとりかえしたくて ぐるぐる考えて

店を出て 扉がしまったとき



「ごちそうさまでした、っと」

そう言った

M先生はにっこり笑った 

私を少し見下ろして 満足そうに

そのとき見えた薄い唇が 私の新しいM先生の記憶になった

それ以来 M先生とは一度も会っていません



・・・



まだリップクリームを塗ることもなかったあの頃

私はM先生に様々なことを教わった



世界の地理や難しい数式 物理っぽい理科の問題の解き方

淡くて甘い気持ち くすぐったいよな竹刀の感触

左利きの手から出てくる文字の面白さ 大人の男性の手と指

家族以外の異性と二人で はじめて入る喫茶店とオレンジジュース

すっかり忘れてしまったこともあるし 時々思い出すこともある

だけど



食事をおごってもらったら 「ごちそうさまでした」ということだけは

あれからずっと忘れていなくて

これからも 忘れることはないと思うのです



おわり



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